山口県下関市観音崎町に有る臨済宗南禅寺派の重関山永福寺では、毎年7月17日に幽霊祭が開催されます。こちらは同寺院本堂方面への階段です。
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その「幽霊祭」についてお話し致します。「幽霊祭」は「桃太郎」や「一寸法師」のようなおとぎ話では無く、実話を元にして作られた日本昔話です。

昔々、現在の山口県下関市の観音崎に、菊屋という海産物問屋がありました。この海産物問屋の夫婦はたいへん仲が悪かったので、心優しい一人娘のお菊は心を痛めていました。

そこでお菊は、夫婦仲が良くなるようにと毎日お寺に願掛けに通いましたが、その思いをよそに夫婦仲は一向に良くなりませんでした。いつしかお菊の気苦労は体にまで及びました。

ある梅雨の日、お菊はお寺の本堂の前で気を失って倒れ、それを和尚さんが発見した時には、熱は38℃台になっていました。和尚さんは「だいぶ無理を為さったそうですね。これ以上気苦労はするなと言うのを忘れないでください」と言って、お寺へ帰りました。

そして両親によるお菊の看病が始まりました。「お前が病に倒れたのは、ワシ等のせいだ。お前は心配しなくても良い。早く元気になってくれ」と言いながら看病し、医者も治療を行いますが、お菊の病は風邪の中でも当時は死亡率が最も高かった「スペインかぜ」で、お菊の病は1週間経っても1ヶ月経っても回復しません。回復しないどころか、梅雨が終わって夏が始まると、明日の命も危なくなってきました。と言うのも、両親はちっとも仲直りをしないからです。

ある夏の昼間、和尚さんが「お菊さんの容態はその後どうかね」と弟子に聞いてみたところ「お菊さんの容態はとても悪くて、あと1日か2日の命だそうです」と返事しました。

その夜、和尚さんがまだ仕事を続けていたら、灯りが暗くなり、お菊の幽霊が現れ、「私は今から黄泉の国に向かいます。今まで有り難うございました。仲の良くないお父様とお母様の事をよろしくお願い致します」と言い、和尚さんがお菊の絵を描いた後、姿を消し、灯りは明るくなりました。その後弟子が駆け込み、続いてお菊の両親が来て、「和尚様、たった今、お菊の死亡が確認されました。お経を唱えてやってください」とお菊の訃報を知らされました。この日が、7月17日だったのです。

和尚さんは「お菊さんが死んだのは元はと言えば、お前様方お2人が仲が悪いせいでは有りますまいかさっきお菊さんの幽霊に会って、自分は黄泉の国に行くが、お前様方お2人の事をよろしくと言っていた、これを見なさい、この絵は私が描いたものである。お菊さんの事をお前様方は何と為さる」とお菊の両親に言って、お菊の幽霊の絵を見せると、2人は「お菊、許してくれ~、ワシ等が悪かった」と言って号泣しました。

こうしてお菊の両親は仲直りし、父も商売に精を出すようになりました。そして毎年、お寺ではご本尊様の御開帳の時、お菊の幽霊の絵を出して夫婦仲の大切さを説きました。この御開帳の事を「幽霊祭」と言い、重関山永福寺の名物イベントとして、後々まで伝わっています。

ちなみにお菊の戒名は「當山所弔幽魂霊位」で、位牌にもそう書かれています。
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