1991年(平成3年)の宝塚記念(GⅠ)を制し、種牡馬としてもGⅠ馬を輩出したメジロライアンが、17日朝に繋養先のレイクヴィラファーム(北海道洞爺湖町)において老衰に倒れ、そのまま黄泉の国に旅立ちました。29歳(人間の約87歳。馬の寿命は30年前後)でした。


同馬は1989年(昭和64年→平成元年)に競走馬としてデビュー。当時デビュー5年目だった横山典弘騎手とのコンビで1990年(平成2年)の報知杯弥生賞(GⅡ)を制し、クラシック候補として期待を集めましたが、皐月賞(GⅠ)はハクタイセイの3着、日本ダービー(GⅠ)はアイネスフウジンの2着、菊花賞(GⅠ)はメジロマックイーンの3着に終わり無冠に終わりました。
さらに同年暮れの有馬記念(GⅠ)でもオグリキャップの2着と、なかなかGⅠに手が届きませんでしたが、古馬となった1991年(平成3年)の宝塚記念(GⅠ)でメジロマックイーンを破って悲願のGⅠ制覇を果たしました。引退レースとなった日経賞(GⅡ)も勝っています。
引退後は種牡馬入りし、初年度からGⅠ・5勝を挙げたメジロドーベル、天皇賞・春(GⅠ)を制したメジロブライトを輩出。内国産種牡馬の雄として活躍しました。2007年(平成19年)に種牡馬を引退。生まれ故郷のメジロ牧場(現在は廃止)で功労馬として余生を送り、2011年(平成23年)の同牧場の廃止・閉場後はレイクヴィラファームに移っていました。
こちらはメジロ牧場(現在は廃止)で功労馬として余生を送っていた時のメジロライアンです。



同馬は1989年(昭和64年→平成元年)に競走馬としてデビュー。当時デビュー5年目だった横山典弘騎手とのコンビで1990年(平成2年)の報知杯弥生賞(GⅡ)を制し、クラシック候補として期待を集めましたが、皐月賞(GⅠ)はハクタイセイの3着、日本ダービー(GⅠ)はアイネスフウジンの2着、菊花賞(GⅠ)はメジロマックイーンの3着に終わり無冠に終わりました。
さらに同年暮れの有馬記念(GⅠ)でもオグリキャップの2着と、なかなかGⅠに手が届きませんでしたが、古馬となった1991年(平成3年)の宝塚記念(GⅠ)でメジロマックイーンを破って悲願のGⅠ制覇を果たしました。引退レースとなった日経賞(GⅡ)も勝っています。
引退後は種牡馬入りし、初年度からGⅠ・5勝を挙げたメジロドーベル、天皇賞・春(GⅠ)を制したメジロブライトを輩出。内国産種牡馬の雄として活躍しました。2007年(平成19年)に種牡馬を引退。生まれ故郷のメジロ牧場(現在は廃止)で功労馬として余生を送り、2011年(平成23年)の同牧場の廃止・閉場後はレイクヴィラファームに移っていました。
こちらはメジロ牧場(現在は廃止)で功労馬として余生を送っていた時のメジロライアンです。