今年(2016年(平成28年))は、旧国鉄白糠線が他の赤字ローカル線のトップを切って廃線になってから、33年になります。

白糠線は国鉄(現在のJR北海道)根室本線白糠駅から池北線(後の北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線。2006年(平成18年)廃線)足寄駅までを結ぶ目的で敷設され、1964年(昭和39年)に上茶路まで開通し、1972年(昭和47年)に北進まで開通した路線です。

北進駅と1駅南の下北進駅は、将来足寄方面へ伸ばす期待を込めてこの駅名とし、悲願の足寄方面への乗り入れを果たした際に、北進駅は駅の所在地から「釧路二股駅」に、隣の下北進駅は、「南二股駅」に改称する計画でした。

ところが、上茶路炭鉱が1970年(昭和45年)2月に閉山(3月末まで休鉱扱い、4月から廃鉱扱い)すると、石炭輸送が廃れ、白糠線は成績が伸び悩みます。しかし、上茶路~足寄間の工事は続けられ、上茶路炭鉱閉山から2年後の1972年(昭和47年)に北進駅まで開通します。

1980年(昭和55年)に「国鉄再建法」と呼ばれる法律が作られると、白糠線北進~足寄間は工事が中止となり、同線の白糠~北進間は特定地方交通線に指定され、廃線の対象となります。

この頃の白糠線は、北進駅まで行く列車がたった3往復しか無く、そのうち2往復については原則としてキハ40系気動車が1両で使用されていました。

北進駅は、集落から徒歩10分以上の距離に有る場所に設けられ、集落に有る学校にも「北進」の名が付けられました。

こちらは北進駅で発車を待つキハ40系の白糠行き最終列車です。集落へは徒歩10分以上で、駅周辺は森林です。
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そして1983年(昭和58年)10月、白糠線は廃線の日を迎えます。最終日となった22日には、増発や増結が行われ、北進駅は最初で最後の混雑となりました。道内はおろか、東京・大阪方面から釧路行きの飛行機でやって来る人達も居ました。白糠~上茶路間は19年、上茶路~北進間は11年でその歴史に幕を下ろしたことになります。

こちらは最終日に運転されたキハ40系を先頭とした10両編成の列車で、最初で最後の10両編成です。車内は最初で最後の超満員でした。
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こちらは北進駅で発車を待つ「さようなら白糠線」のヘッドマークを付けたキハ40系を先頭とした白糠方面釧路行きの最終列車で、この列車の白糠到着とともに、白糠線は夭折しました。
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翌日からは、白糠町営バスが運転を開始し、現在は平日3往復、土曜1往復、日曜運休となっています。