大相撲の元横綱で日本相撲協会の北の湖理事長が20日夜、直腸ガン(直腸に形成される悪性新生物)による多臓器不全のため、福岡市内の病院で死んでしまいました。62歳でした。

北の湖理事長は1953年(昭和28年)に北海道壮瞥町で生まれ、1967年(昭和42年)に初土俵を踏みました。

立ち合いの強烈な当たりや左四つからの力強い右の上手投げで白星を重ね、1974年(昭和49年)に史上最年少となる21歳2か月で第55代横綱に昇進しました。

横綱・輪島と白熱した対戦を繰り広げて「輪湖時代」と呼ばれ、歴代5位となる24回の優勝を成し遂げました。

今の東京・両国の国技館で初めて開かれた1985年(昭和60年)の初場所を最後に、現役を引退しました。

引退後は元横綱の大鵬に次いで2人目の一代年寄の名跡を認められ、北の湖親方として新たに相撲部屋を設け力士を育てました。

2002年(平成14年)には日本相撲協会の理事長に就任し、力士の大麻問題などを受けて2008年(平成20年)に辞任したあと、2012年(平成24年)から再び理事長を務めていました。

しかし、大腸などの病気のため入院と手術を繰り返すようになり、今年7月の名古屋場所は腎臓に尿がたまる病気で途中で帰京しました。

北の湖理事長は今月8日から福岡市で行われている九州場所で、19日まで連日、会場の福岡国際センターに出勤し、報道陣の取材に応じていました。

しかし、腰痛を訴えて初日恒例の協会あいさつは代行者を立てるなど、人の支えなしで1人で歩くのは困難な状態でした。

また、腰痛のため夜よく眠れていないことをみずから明かすなど、体調の悪さは隠せない様子でした。

20日朝、体調を崩して救急車で福岡市内の病院に運ばれ、夜、直腸ガンによる多臓器不全のため黄泉の国に旅立ちました。

【歴代1位 横綱在位63場所】
元横綱・北の湖、本名・小畑敏満さんは1953年(昭和28年)に北海道壮瞥町で生まれました。

中学1年の時に上京し、1967年(昭和42年)に13歳で初土俵を踏みました。

十両昇進は17歳11か月、新入幕は18歳7か月と、いずれも当時の最年少記録を次々と塗り替え、「怪童」と呼ばれました。

幕内でも、立ち合いの強烈な当たりや左四つからの力強い右の上手投げで白星を重ね、1974年(昭和49年)に元横綱・大鵬の記録を1か月塗り替え、史上最年少となる21歳2か月で第55代の横綱に昇進しました。

当時の横綱・輪島と白熱した対戦を繰り広げて「輪湖時代」と呼ばれ、輪島の力が衰えたあとも優勝回数を重ねました。

1978年昭和53年)には初場所から5連覇し、当時の新記録となる年間82勝を挙げるなど無類の強さを見せ、「憎たらしいほどの強さ」とも評されました。

1984年(昭和59年)の夏場所で14場所ぶりの優勝を全勝で果たし、これが最後の優勝となりました。

優勝回数24回は、当時は大鵬に次ぐ歴代2位の大記録で、現在も歴代5位となっていて、今の東京・両国の国技館で初めて開かれた1985(昭和60年)の初場所を最後に現役を引退しました。

横綱在位63場所は現在も破られていない歴代1位の記録で、通算勝利数951勝と幕内勝利数804勝も、当時はいずれも歴代1位でした。