2012年(平成24年)に入場者数および売り上げ減の他、開催経費や耐震補強工事などのコストが高い等のデメリットが多く、競馬事業の継続は困難と判断されたのを理由に、同年11月に同年度限りでの廃止・閉場の方針を全員一致(満場一致)で決め、大勢の競馬ファンや福山市民等の廃止反対運動(福山けいば所属騎手達の署名活動を含む)の甲斐も無く翌2013年(平成25年)3月24日(日)の開催(第22回福山4日目)を最後に63年の歴史に幕を降ろした福山競馬場。福山けいば廃止と共に岡崎準騎手、黒川知弘騎手、周藤直樹騎手、野田誠騎手、藤本三郎騎手の5人のジョッキーが引退し、うち周藤元騎手は大井競馬場(東京シティ競馬)で厩務員を務め、藤本元騎手は茨城県行方市に有る、競走馬を育成する牧場「ミッドウェイファーム」に勤務しています。岡田祥嗣騎手は福山競馬場廃止に先立ちJRA栗東に、楢崎功祐騎手は廃止・閉場と共に大井競馬場移籍しています。(関連ニュースはこちらこちら)

廃止・閉場後はその跡地の解体工事が進んでいます。

今後は福山市民の意向を重視して『水と緑に包まれた健やか・未来ふくやま創造交流拠点』として生まれ変わります。

具体的にはやすらぎゾーン、スポーツ・健康ゾーン、みらい想像ゾーンの3つのエリアに分けて活用されます。

解体後、調査などが改めて行われ、2017年度から工事開始、2019年度を目途に運用予定とのことです。

こちらは2012年(平成24年)11月19日(月)の中國新聞の記事で、福山けいばの廃止決定がトップ記事に成っています。
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最終日には、1万人以上の観客が来場した模様です。
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こちらは福山けいば最後のレース「第6回ファイナルグランプリ(格付け無しの重賞)」を優勝したビーボタンダッシュで、この馬は福山けいば廃催と共にホッカイドウ競馬に移籍、その後ホッカイドウ競馬の2013年度の開催終了と共に通年ナイターの高知競馬に移籍、福山けいば廃催からから1年9ヶ月後の翌年12月の高知の「狩野が30歳特別」の6着を最後に引退し、現在は千葉県白井市のJRA競馬学校で訓練馬として供用中です。
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また、クラマテングは、福山けいば廃催と共に引退しましたが、競走馬登録抹消は事実上の引退から1年半後の2014年(平成26年)秋でした。

こちらは福山競馬場の最終日に開催された閉場セレモニーの様子です。ちなみにこの日は、JRAでは中京競馬場で第43回高松宮記念(GⅠ)が行われ、ロードカナロアが優勝しています。
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こちらは東日本大震災の年の暮れに開催を廃止した荒尾競馬場(現在のBAOO荒尾・J-PLACE荒尾)以来の馬場開放の様子です。
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これは三菱電機製のビジョンに掲載されたメッセージで、「63年間、本当に有難うございました」と表示されています。ちなみに名古屋競馬場のビジョンは東芝製です。
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この日の閉門時刻、つまり午後6時30分を以て、福山競馬場は63年間の歴史に幕を降ろしました。競馬場の廃止・閉場はブエナビスタとヴィクトワールピサの引退レースである第56回有馬記念を控えた2011年(平成23年)12月の荒尾競馬場(現在のBAOO荒尾)以来、1年3ヶ月ぶりです。なお、正式な廃止・閉場年月日は4月1日(月)です。なお、福山競馬場廃止と共に閉館した場外発売所は、園田競馬場の場外発売所「DASH福山駅前・柳津」として再オープンしています。

こちらは廃止・閉場後の解体工事の様子です。先に厩舎の撤去工事が開始され、厩舎の撤去が完了した後の今年春にスタンドの撤去工事が開始されています。廃止から3年後の2016年(平成28年)に完了し、公園の整備工事は2017年(平成29年)に開始する予定です。
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福山競馬場の廃止・閉場から9ヶ月後、オルフェーヴルが中山の第58回有馬記念(GⅠ)で、ロードカナロアが香港シャティンの香港スプリントで、エイシンフラッシュが府中の第33回ジャパンカップ(GⅠ)でそれぞれ引退しています。