2011年(平成23年)3月11日(金)に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の地震動と津波によって発生し、最悪のレベル7と設定された東京電力(以下、東電)福島第一原発事故からも、本日で4年になりました。

これは、地震動発生直後の原子炉停止から1時間後に三陸沖方面から来た10数メートルの津波によってディーゼル発電機が故障した事による全電源喪失からスタートし、1号機(ゼネラル・エレクトリック製)、3号機(東芝製)、2号機(ゼネラル・エレクトリックと東芝の2社製)、4号機(日立製作所製)の順に炉心溶融(メルトダウン)、水素爆発が発生しています。

こちらは4番目にメルトダウンを起こした日立製作所製の4号機です。
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ヨウ素やセシウム等の放射性物質が各方面に散乱し、原発周辺では避難区域が設定されました。内容は赤が許可無しでは入ってはいけない帰還困難区域、黄色が住むことはできないが自由に入ってもよい居住制限区域、緑が自由に入っても良いのに加え、数年以内に避難区域の設定が解除出来そうな避難指示解除準備区域です。なお、かつては警戒区域、緊急時避難準備区域、計画的避難区域に編成されていました。

放射線はガンの治療にも使われますが、この放射線は広島や長崎の原子爆弾とほとんど同じで、長時間放射線を浴びたり散乱した放射性物質を食べ物や飲み物と一緒に口から多めに摂取したりすると広島や長崎の原爆症と同じ症状が出る可能性が有ります。実は1999年(平成11年)9月30日に発生した茨城県東海村のJCOの臨界事故は、20シーベルト(2万ミリシーベルト)以上の放射線を浴びる等して2名の死亡者を出しています。

当時の東電社長だった清水正孝氏が福島県内の避難所を訪れた際、避難者に「土下座して謝れよ、清水」や「ここにも浪江町民が居るんですよ、何故謝らないんですか」、「死ね」「秋葉原事件の加藤被告や土浦事件の金川元死刑囚、そして附属池田小事件吉岡守(旧姓:宅間)元死刑囚みたいになれ」等と言われ、土下座して「申し訳有りませんでした」と謝罪したのは、震災及び原発事故から2ヶ月後の5月4日(水・祝)でした。これは避難所において「土下座して謝れよ、清水」と避難者に言われ、それに従っている様子です。避難者の中には、清水社長より年下の者が含まれているにもかかわらず、彼らをお前呼ばわり、時には貴様呼ばわり、テメー呼ばわりする者も居ました。どんな事が有っても、年上の者には敬語を使うのが原則です。
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現在、清水氏は社長を引退し、後輩の広瀬直己氏が社長に就任しています。

はだしのゲンにも有りました。この漫画は、広島市が舞台で、第2巻で父大吉、姉英子、弟進次の3人を原子爆弾で亡くした後もたくましく生きるゲンを描いています。

空腹と疲労で倒れたゲンを助けた兵隊さんは、初対面で有るにも関わらず「みんなお前にやる、しっかり食べなさい」とゲンをお前呼ばわりします。その訳は、この兵隊さんは九州方面から来ており、九州の熊本県にゲンと同世代の息子が居て、ゲンをおんぶすると息子を思い出し、赤の他人のように思えないとのことです。この際、兵隊さんは「ワシはここ最近、食欲が無いんだ、安心しなさい」と言います。
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兵隊さんがよろけ、「悪いけど歩いてくれ、気分が悪くてお前をおんぶできないんだ」と言ってゲンのおんぶを中止します。その際、冷や汗をかきながら「ワシは体の丈夫な事だけは自慢できたのに、死体整理をしに広島に来てから体が怠くて仕方無いのだ」と発言します。その直後、血混じりのピーピー便(下痢便の俗称)を排出します。これは赤痢の可能性が有りますが…。
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兵隊さんは気付かず、「バカモンワシがクソなどするか」と否認するも、お尻に手をやってみたところ、本当に血混じりのピーピー便を洩らした事に気付きます。しかし、お腹の痛みと便意は感じていないと言っています。
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血混じりピーピー便の後は脱毛です。しかも一掴みで抜けてしまいます。兵隊さんは冷や汗をかきながら「いっ、一編にこんなに抜ける、どうしたんだ、ワシの体は」と叫びます。これは抗ガン剤の副作用とほぼ同じ症状です。
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何も知らないゲンは、ピーピー便を洩らし、髪の毛が抜けてハゲになる兵隊さんを見て笑うも、兵隊さんにジロリと睨まれ、「ごめんよ、笑ったりして」と謝罪します。その直後、兵隊さんの悪寒が始まります。
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真夏のクソ暑いのに冷や汗をかきながら「坊主、寒いんだ、何とかしてくれ」と言い張る兵隊さん、明らかに只事では無い事にゲンも気づいたようです。
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熱線のせいで熱いトタンを被せても寒がる兵隊さん、このあと、九州方面に顔を向け「父さんは、こんなお土産を持って帰って来たぞ」と叫び、口から血を吐き出し、気絶してしまいます。これは骨髄性かリンパ球性かはわかりませんが、急性白血病の可能性が有ります。
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その後、ゲンは熱線で熱いトタンでソリを作り、気絶中の兵隊さんを安静にさせ、救護所に運び込みますが、そこで「ご臨終です」と死亡が確認されてしまいます。この際、軍医さんは「食欲不振、怠さ、下痢、脱毛、悪寒、吐血が特徴です」と言います。
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ゲンが野外霊安所を覗いてみると、彼より先に黄泉の国に旅立った兵隊の遺体が沢山安置されていました。これは原爆による直接被曝ではありません。あとから来た兵隊がばたばた死んでいます。ゲンは「簡単に死なないでくれよ、もう一度歌を歌ってくれよ、元気になって九州方面に帰ってやってくれよ」と泣き叫びます。
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その後、ゲンの頭も髪の毛が抜け、気が付いたら、スキンヘッドに成ってしまっています。ゲンは「僕は死にたく無いよ~」と泣き叫んだ模様です。そして「軍艦行進曲」や「月月火水木金金」の替え歌を歌った模様です。
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原爆投下から4年後の1949年(昭和24年)、ゲン、上の兄浩二、下の兄明、母君江、弟進二に瓜二つの近藤隆太の5人は京都に向かいますが、そこで君江は吐血をし、「ハア、ハア、私は知っていたのよ、覚悟していたのよ、病院を退院したときからもう長くない命だと…」と言い、その後意識を失い、京都市内の病院に運び込まれ診察を受けますが、そこで死亡が確認されてしまいます。そして、それを荼毘に付すと、骨はハンマーで砕かれたかのごとく全部灰になってしまっています。ゲン達は粉になった君江の遺灰を持って広島に帰りました。
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これは、恐らく広島市内に残存している放射性物質が食べ物と一緒に体内に入り込んだ事による内部被曝によるものと思われます。九州方面から来た兵隊さんは、被曝後の広島に来ており、火傷等は負っていません。しかし、放射性物質を食べ物と一緒に摂取し、体がダメージを受け、倒れて死に、その後ゲンの頭皮も放射線でダメージを受け、スキンヘッドに成ってしまった模様です。そして4年後には母君江も、その翌年には大原夏江も原爆症で黄泉の国に旅立ってしまった模様です。

このように、福島でも、長時間汚染地域に居ると、放射線障害を発症するリスクが高くなります。そのため、避難区域では、除染作業が急がれます。

なお現在は、帰還困難区域では、下車には許可が必要ですが、自動車での通過は可能です。

この奥(原発方面)は、帰還困難区域で、入域には許可が必要です。勝手に入ると罰金が科せられる場合が有ります。つまり、韓国のイムジンガン(臨津江)~ケソン(開城)間と同じです。
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ちなみに原爆犠牲者の名簿は、広島平和記念公園に有る原爆慰霊碑の石室に収納されています。